いせ源本館
立川 博之 さん
あんこう料理の名店が描く未来図|東京歴建『いせ源』七代目当主に聞く
神田須田町に佇む『いせ源』は、都内唯一のあんこう料理専門店として知られています。1932年(昭和7年)に建てられた現在の建物は、昭和初期の建築様式を今に伝え、2001年には東京都選定歴史的建造物(以下、東京歴建)に選定されました。当時の意匠が随所に残る貴重な建造物です。
今回は、七代目当主の立川 博之(たちかわ ひろゆき)さんに、建物の歴史や保全への取り組み、そしてこれからの展望についてお話を伺いました。
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歴史的建造物の価値を見つめ直す
- 『いせ源』の歴史的背景についてお聞かせください。
- 立川さん:1830年(天保元年)、初代立川庄蔵が京橋三丁目付近でどじょう料理店「いせ庄」として創業しました。その後、二代目立川源四郎のとき、店を神田須田町(旧:神田連雀町)へ移転し、「いせ庄」の「いせ」と二代目源四郎の「源」から店名を『いせ源』に改めました。大正時代の四代目立川政蔵の頃から「あんこう料理専門店」となり、以来、伝統の味を守り続けています。
- 立川さんが『いせ源』の当主となられた経緯をお聞かせください。
- 立川さん:七代目当主として2015年に就任しました。それまでは銀行員として勤務していましたが、五代目である祖父の他界と、六代目である父の体調変化を機に、2007年頃から店舗の運営に携わるようになりました。
- 長い歴史を積み重ねてきた建物で働くことについて、どのようにお感じですか。
- 立川さん:実は、特別な感情は抱いていません。1932年(昭和7年)に建てられ、2001年には東京歴建にも選定された建物ですが、私にとっては幼少期から慣れ親しんだ自宅のような空間です。日々の営業の中では、その歴史的な価値を意識することはあまりありません。
ただ、休日にふらりと店に立ち寄ったときなど、独特の香りがふと懐かしさを呼び起こすことがあります。そんなとき、この空間で過ごした幼い頃の記憶や、先代たちの思いに触れる気がします。
- 日々の店の運営を通して、感じられることはありますか。
- 立川さん:銀行員時代、外から見ていた時には事業の範囲は限定的だと感じていました。しかし、実際に働き始めてみると、想像以上に多くのつながりがあることに気づかされました。飲食業界の同業者や取引先だけでなく、老舗でつくる「のれん会」、神田法人会、商工会議所など、世代を超えた様々なネットワークが存在しています。
そうした交流の中で、先代や先々代、四代目の時代の話を伺う機会も多くありました。良いことも、そうでないことも含めて、様々な経験を共有していただいたことは、店の運営に大きな示唆を与えてくれています。
伝統を守り、未来へつなぐ
- 歴史のある建物ならではの、保全における課題はありますか。
- 立川さん:日々の運営において特別な苦労は感じていません。ただし、将来を見据えた準備は重要だと考えています。事業承継の際には建物や土地の相続も関係してきますし、将来的な法律改正や土地開発などの可能性も考慮する必要があります。そのため、修繕計画や事業計画は常に先を見据えて進めるようにしています。
- 代々受け継がれてきたものを引き継ぐ重圧はありますか。
- 立川さん:店に入った当初は、長い歴史があるだけに「こうあるべき」「こうすべき」と考えがちでした。伝統を守り、次世代に引き継ぐことばかりを意識していたように思います。しかし、次第に考え方が変わってきました。
お客様や働く仲間、取引先の方々、地域社会も含め、みなさんに必要とされる存在であり続けること。そして、自分自身も楽しみながら取り組むこと。そうした「今」に向き合うことが、むしろ未来につながっていくのではないかと考えるようになりました。
- 次の世代への継承についてはどのようにお考えですか。
- 立川さん:3人の娘がいますが、継ぐことを強制するつもりはありません。ただ、もし継ぎたいと思ってくれた時のために、安心して承継できる体制づくりは進めています。大切なのは、この場所が必要とされ続けること。そのために、目の前のことに精一杯取り組んでいきたいと考えています。
いつ来ても懐かしさを感じられる空間に
- 『いせ源』にお越しいただく方に、どのように楽しんでいただきたいですか。
- 立川さん:常連のお客様もいれば、初めてのデートや顔合わせ、お祝いの席など、特別な機会にお越しいただく方もいらっしゃいます。そうした方々がいつ来られても、懐かしさを感じられる空間であり続けたいと思います。あんこう鍋を囲みながら、建物の雰囲気や長年の歴史が醸し出す香りも含めて、五感でこの空間を味わっていただければ嬉しいです。
- With! 東京歴建PROJECTに期待することをお聞かせください。
- 立川さん:以前、修繕工事の際に助成をいただいたことがありました。その際、予期せぬ箇所の腐食が見つかり修繕できたことが、後の東日本大震災の際に建物を守ることにつながりました。一方で、伝統的な技術を持つ職人の方が減少している現状は大きな課題です。今後、修繕が必要になった際の職人の紹介など、保全のための支援体制があれば心強く感じます。
- 最後にメッセージをお願いします。
- 立川さん:神田須田町には、当店を含め4つの東京歴建が残されています。この昭和初期の建物群は、この地域ならではの風景を形作っています。各店舗での食事を楽しんでいただくとともに、このエリアの雰囲気も味わっていただければと思います。100年近い歴史の中で、様々な人々が過ごしてきた時間に思いを馳せていただければ幸いです。