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東京歴建の裏側にある物語や想いをご紹介。

曙湯
鈴木 潔 さん  大澤 秀征 さん 

浅草にいきづく東京型銭湯|東京歴建『曙湯』

INTERVIEW

 東京では、東京型銭湯と呼ばれる社寺建築の外観・意匠を備えた銭湯建築を各所で見ることができます。しかし、家庭風呂の普及により公衆浴場数が減少していることに伴い、東京型銭湯も今、急速に失われようとしています。

 そのような中、昭和から平成にかけて数多くの銭湯を建設してきた方たちと、未来に向けて銭湯を残そうと取り組む方たちがつながる場所があります。東京都台東区浅草にある『曙湯』です。今回は、2025年10月に東京都選定歴史的建造物(以下、東京歴建)に選定された曙湯を訪問し、株式会社鈴和建設の取締役会長 鈴木潔さんと、株式会社yueの代表取締役社長 大澤秀征さんにお話を伺いました。
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鈴木 潔 さん
株式会社鈴和建設 取締役会長

大澤 秀征 さん
株式会社yue 代表取締役社長

曙湯 建物詳細ページ

台東区浅草四丁目17番1号 website: https://akebonoyu.com/

1948年に建設された宮造りの銭湯。唐破風の軒先に鶴と松が彫られた兎毛通しなど、宮大工の技術が活きた建築意匠と、浅草寺から受け継いだ藤の木が特徴ある景観を形成しています。地域のランドマークとして、2025年10月に東京歴建に選定されました。

銭湯に歴史を築き、歴史を未来へつなぐ

まずは、お二人の会社の紹介からお願いいたします。
鈴木さん:株式会社鈴和建設(旧 鈴木工務店)は、私の父が1941年(昭和16年)に創業した会社です。次男だった父は中学卒業後に新潟から上京し、工務店で十数年修行を積み、31歳のとき浅草橋で小さな工務店を立ち上げました。創業当初は一般住宅を専門としていましたが、やがて銭湯建築へと活動の幅を広げていくことになります。

 当時、都内には約2,700軒もの銭湯があり、そのオーナーの多くは新潟や富山、石川といった北陸の出身者でした。戦後、同郷の銭湯経営者から「戦災で焼けた銭湯を再建したい」と父のもとに依頼が舞い込んだことをきっかけに銭湯建築に力を入れるようになり、平成までに都内約600軒もの銭湯を手がけました。現在は日本建築で培った技術やノウハウを活かし、さまざまな建物を手がけています。

 曙湯は1948年(昭和23年)に建設した、父がつくった銭湯のひとつです。当初は別の方が所有していましたが、1955年(昭和30年)に父が買い取り、現在は私がオーナーを引き継いでいます。
大澤さん:株式会社yueは、温浴施設の開業プロデュースやコンサルティング、運営受託業務などを手がける会社です。地域に愛されてきた銭湯の魅力を世界に発信したいと考え、銭湯の運営やプロデュース、コンサルティング事業を展開しています。神奈川県で銭湯の運営を担っていましたが、ご縁があって鈴木さんにお声がけいただき、2025年8月から曙湯の運営を担っています。

銭湯文化を再興した宮造りの技術

日本の文化の一つとも言える銭湯ですが、銭湯にはどんな歴史があるのでしょうか?
鈴木さん:銭湯の歴史をさかのぼると、始まりは6世紀ごろと言われています。仏教とともにインドから伝わり「身を清めれば心も清められる」という考えから当初はお寺に浴室が設けられました。奈良時代になって浴室が大きくなり、「湯屋」という概念ができました。しかし、入浴するのはお坊さんがメインで、病人に限り一般の方も利用できたそうです。鎌倉時代に入り、一般の方々も利用できるようになりました。

 江戸時代に入ると湯屋は一気に栄えました。徳川家康が江戸に入った翌年、伊勢与市(いせのよいち)という人物が江戸で銭湯第一号を立ち上げて以降、江戸中に銭湯がつくられるようになりました。記録によると、江戸時代には520軒ほどの銭湯ができたとか。その後も数は増え、明治に約900軒、昭和の最盛期には約2,700軒が都内で営業を行っていたそうです。
そのような歴史の中で、鈴和建設が銭湯建築に関わるようになった経緯を教えてください。
鈴木さん:太平洋戦争の終結後、空襲の影響から東京都内の銭湯は多くが焼けてしまっていました。戦後に銭湯を再建することになったとき、私の父に声がかかりました。

 父が独立前に修行していた工務店にはお寺や神社をつくる宮大工が在籍していたことから、父も宮造り建築の技術を持っていました。その技術を見込んで、新潟の銭湯経営者から銭湯建築を依頼されたんです。それが1947年(昭和22年)頃のことでした。
そこからなぜ、600軒もの銭湯建築を手がけることになったのでしょう?
鈴木さん:最初に手がけた宮造りの銭湯の評判が良かったことが大きいと思います。「うちも頼みたい」と声をかけていただき、評判が評判を呼んで次から次へと依頼をいただくようになりました。父もお願いされたら断れない性分でしたから、結果として平成までの約40年で600軒もの銭湯を手がけることになりました。

 それだけ多くの依頼に応えられたのは、社長である父が自ら現場に足を運び、工事を監督・管理していたからだと思います。通常は現場監督に任せるものですが、父は自分の目で品質を確かめることにこだわっていました。私もそのやり方を受け継ぎ、今も現場に足を運ぶようにしています。鈴和建設では自社の社員として腕のいい職人を20人ほど抱えていました。多くの工務店が下請けの職人に依頼していた中、自社で職人を抱えていたことで、銭湯1軒を2〜3カ月でつくることができました。1年で15軒ほど建てることができたんです。

 うちの会社には営業マンが一人もいないんです。いい仕事をすれば次の仕事につながり、お客様が紹介してくださる。小さな修理の仕事でもコツコツと丁寧にこなすことで、大きな仕事を任せてもらえるようになる。それは父の代から変わらず、おかげさまで今も忙しく仕事をさせてもらっています。
1年に15軒というのはすごいペースですね。
鈴木さん:この時代ならではの背景もあると思います。地域の方々も、一日も早く銭湯を完成させてほしいと朝早くから夜遅くまでの工事に理解を示してくださいました。おかげで朝6時から夜20時くらいまで土日も関係なく現場泊まり込みで工事を進めました。食事も若い職人が人数分をつくって振る舞っていたんです。そうした一丸となった働きの積み重ねが、数多くの実績につながったんです。

地域に寄り添う、身近な銭湯づくり

鈴和建設が600軒もの銭湯建築を手がける中で大切にしていたことは何でしょうか?
鈴木さん:一番は、「地域」を考えることです。銭湯は地域の方々の日常に根差した場所ですから、できるだけ身近な存在になることを大切にしていました。地域によって運営の仕方も違いますから、宮造りという伝統文化の形式は崩さず、設備やしつらえを工夫しています。

 例えば、銭湯には浴室があるので、湯気で空気がこもりがちです。そこで天井を高くすることで湯気を上部に逃がしやすくしたり、「湯気抜き」といって外部に蒸気を逃がせる構造をつくったりしました。

 また、時代の変化に合わせた対応も行っています。昔ながらの銭湯には、男湯と女湯のお客様に対応する番台がありましたが、近年はカウンター式が増えてきています。こうした世の中の動きに合わせ、柔軟に対応してきました。
曙湯はどのような建物として設計されたのでしょうか。
鈴木さん:曙湯は、父が手がけた数多くの銭湯のひとつで、1948年(昭和23年)に建設しました。父によると、浅草という場所を踏まえて外観を設計したそうです。正面外観や玄関の形状など、昔ながらの銭湯の雰囲気を大事にしています。

 内部については、江戸時代から銭湯が庶民の憩いの場だったことを意識しています。近所の方々が風呂上がりに気軽におしゃべりを楽しめるよう、コミュニケーションを取りやすい空間として設計されています。
曙湯の魅力はどんなところでしょうか?
大澤さん:たくさんありますが、やはり外観ではないでしょうか。こんなに立派な宮造り建築はなかなかありません。春には藤の花が咲き、曙湯の特徴的な景観となります。また、緑が鮮やかな季節も美しく、それぞれの季節で違った魅力があります。

浅草の思いを受け継ぐ曙湯

曙湯が今日まで残されてきた経緯を伺います。
鈴木さん:実は20年くらい前、父から鈴和建設を引き継いだとき、一度は建て替えを検討したんです。取り壊してビルを建て、最上階に銭湯をつくってはどうかと。そうすれば、お風呂に入りながら夜景を楽しめるだろうと。計画していたところ、近隣の町会長たちが訪ねてきて、「この銭湯を何とか続けてほしい」「歴史的な建物を残してくれないか」と口々に言われたんです。こうした地域の方々からの強い要望を受けて、最終的に考え方を変え、曙湯を残すことにしました。
そんな経緯があり、奇跡的に曙湯は残ってきたのですね。
鈴木さん:奇跡的に残ったという点で言えば、2010年に耐震補強工事をしていたことも大きな要因です。父が亡くなる前、「曙湯を残すために何とか耐震補強工事をしてほしい」と言っていました。その想いを受けて、2010年10月頃から工事を行いました。屋根の重い瓦を軽い素材のものに取り替え、耐震壁を入れ、大黒柱と裏大黒柱の間を大きな梁(はり)で結びました。偶然このタイミングで工事をしていたため、2011年3月の東日本大震災でもほとんど被害を受けませんでした。これは本当に幸運だったと思っています。

 将来、大規模災害で断水が発生した際には、貯水槽の水を地域の方々に提供するなど、地域に貢献できればと考えています。

伝統に新しい価値を吹き込む

2025年8月からは、大澤さんが代表を務める株式会社yueが運営を担うようになりました。曙湯に関わることになったとき、どのように感じましたか?
大澤さん:私たちの会社では銭湯の魅力を広める事業を展開していたので、曙湯のお話をいただいたときはやりたいこととピッタリ合うと感じました。長い歴史があり、建物も伝統的な様式で、銭湯としてトップクラスの魅力が詰まっています。私たちが銭湯の魅力を発信する上でもフラッグシップになるのではないかと。ですので、正式に決まったときは非常に嬉しかったですし、改めて身が引き締まるような気持ちになりました。

 実際に運営を始めてからは、曙湯が地域の方々にとって特別な場所であることを実感しました。私たちが継承してから1カ月ほど休業期間がありましたが、営業を再開した際、「再開してくれて本当に嬉しい」「毎日来る場所が戻ってきた」という言葉をたくさんいただきました。地元のお店の方とも積極的にコミュニケーションを取るようにしていますが、浅草では誰もが知る存在で、本当に特別な場所だと感じています。
より多くの方に曙湯を楽しんでもらうために、どんな工夫をされていますか?
大澤さん:お客様の高齢化が進む中で、若い世代にも曙湯を知ってもらい、足を運んでもらうことを目指しています。SNSやホームページで情報を発信するほか、ビール会社やスポーツ用品メーカーとコラボしたイベントも実施しています。お風呂上がりにビールを楽しむイベントや、浅草の観光地ランをした後にお風呂に入るイベントなどです。また、朝6時から9時までの朝風呂も始めました。少しずつ新しいお客様に足を運んでいただけるようになっていて、曙湯の新しい楽しみ方を提案できていると感じています。
鈴木さん:大澤さんたちが始めた朝風呂の取り組みは、私も注目しています。1日30~40人ほどのお客様にご利用いただいていて、曙湯の新しい楽しみ方として定着しつつあります。

東京歴建選定と、これからの曙湯

曙湯が東京歴建に選定されたときはどう感じましたか?
大澤さん:2025年8月から運営を担うようになり、10月に東京歴建に選定されました。本当にいいタイミングだったと思います。私自身、大学では建築学を専攻していたので、曙湯と出会ってすぐに建物のすばらしさを感じました。東京歴建に選定されたことは非常に光栄ですし、このタイミングは大変ありがたいと感じました。
鈴木さん:運営を引き継いだタイミングで東京歴建に選ばれたことはよかったと思います。大澤さんたちには運営を通じて、どのような銭湯が多くの人に愛されるのかを実感してもらいたいと考えています。そのうえで必要な改修工事を共に考えていきたいと思っています。未来に向けても、東京歴建に選定されたことで一つの軸ができたのではないでしょうか。
『With!東京歴建PROJECT』に期待することを教えてください。
大澤さん:こうした取り組みはすばらしいと感じています。日本では、建物の価値は完成したときが最も高く、時間が経つにつれて下がってしまいます。いわゆる新築至上主義です。一方、海外には古いものに価値を見出す文化があり、昔からの街並みを守ることで資産価値を高めています。

 日本にはまだ根付いていない文化ですが、『With!東京歴建PROJECT』などの活動を通じて古いものを残そうという考えが広まれば、日本人の価値観も少しずつ変わるのではないでしょうか。歴史ある建物が改めて評価され、寄付等による支援が進むことで、新築至上主義からの転換が期待できます。そうなれば10年後、20年後、100年後の日本の街並みが守られ、日本の原風景も維持されるでしょう。このプロジェクトが、そのような未来につながることを期待しています。
最後に、これから訪れる方へのメッセージをお願いします。
大澤さん:東京歴建として外観を楽しんでいただくのはもちろん、お越しになった際はぜひお風呂にも入っていただきたいです。受付で気軽に会話を楽しみ、和んでいただく。お風呂に入った後は、休憩スペースで思い思いの時間を過ごしていただく。ぜひ曙湯を一日の目的地として、ゆっくりと過ごしていただけたら嬉しいです。
鈴木さん:曙湯は長年地域の方々に愛されてきましたが、東京歴建に選定されたことで、改めてその価値を多くの方に知っていただける機会になったと思います。外観は、雷門からの人力車のルートに組み込まれるほど見応えがあります。ぜひ一度足を運んでいただき、歴史ある銭湯の魅力を感じていただけたら嬉しいです。

鈴木 潔 さん
株式会社鈴和建設 取締役会長

大澤 秀征 さん
株式会社yue 代表取締役社長

曙湯 建物詳細ページ

台東区浅草四丁目17番1号 website: https://akebonoyu.com/

1948年に建設された宮造りの銭湯。唐破風の軒先に鶴と松が彫られた兎毛通しなど、宮大工の技術が活きた建築意匠と、浅草寺から受け継いだ藤の木が特徴ある景観を形成しています。地域のランドマークとして、2025年10月に東京歴建に選定されました。

インタビューを終えて

 宮大工の技術を注ぎ込み、地域のための銭湯をつくり続けた鈴木さん。その歴史を受け継ぎながら新しい価値を吹き込む大澤さん。地域に愛され続けることで歴史的な価値を育んできた身近な銭湯が、今、さらに新しい関心を呼んでいることに、大きな可能性を感じます。

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